「頭の回転が速いとはどういうことか」‐ 多湖輝
「頭の回転のメカニズム」
「言語連想」というものがる。一つの言葉(刺激語)を聞いて、心に浮かんでくる言葉をつぎつぎに言っていく。そして、出てきた言葉の相互関係や、バラエティを調べるものである。
このテストでも、やはり、いちばん問題になるのは、ある特定のイメージ、特定の反応語に対する、その人の固執度が、どのくらいあるかということである。
たとえば、ある人は、「万年筆」という刺激語に対して、なかなか連想が起こらずに、あれこれと、言葉を探しまわる。これは、もちろん、連想の貧弱さに起因する現象である。ところが、このとき、同じ連想の貧弱な人のなかに、ある特定の一つないし二つの言葉はすぐ浮かぶが、あとがなかなか浮かばない、というタイプの人がいる。たとえば、「万年筆」という刺激語に対して、「インク」とか「キャップ」とかいう言葉は、すぐ浮かんでくるが、そのほかの言葉が、うそのように浮かんでこない。
つまるところは、連想がまったく浮かばぬこちこちの石頭と同じだということになるわけだが、こわいのはむしろこういう頭の持ち主かもしれない。むろん、こんな現象は、連想の世界だけにとどまるものではなく、さまざまな知識にしても、行動にしても、これと同じことで、いつもきまって、判で押したような定型的な反応は起こるが、そのほかの考え方とか行動とかが、ぜったいにとれない人がいる。「三角形」と聞けば「ピタゴラス」、「サイコロ」といえば、すぐ「確率」というような結びつきが起こってしまって、ほかの可能性が、まったく考えられない。こうした頭の持ち主を、私は、頭脳脈硬化症と名づけたわけである。
ところで、人によって、なぜ、反応語にこれほどまでの差ができるのであろうか。人によって、知っている知識や言葉の量(ボキャブラリー)に、連想の差を起こさせるほどの、違いがあると考えるべきなのであろうか。
答えはもちろん「ノー」である。むろん、知識や教養の差によって、ボキャブラリーの多少の差はあろう。しかし、同じ日本人として生まれ、日本語を使いなれているあなたと私のあいだに、日本語のボキャブラリーに、それほど決定的な相違があるとは思われない。
だとすれば、いったい、何が、連想の豊かさと貧弱さ、連想の速さと遅さなどの差をもたらす条件になっているのであろうか。
マインドマップの存在を思い出させます・・
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