2013年6月21日金曜日

頭の回転を速める法

多湖輝先生の「頭の体操」第2集
「頭の回転が速いとはどういうことか」より


「頭の回転を速める法」

 私たちの頭の中には、実は無数の水路が網の目のように広がっている。

 ところが、この水路の網の目が、いつのまにかコチコチになり、いつも使っている幹線水路だけを残して、あとは、詰まったり、水漏りしたりしはじめたとしたら、私たちは、これを、どうやって修理し、復旧していけばよいのであろうか。また、せっかく弾力に富み、水路の網の目も正常に働いている回転のよい頭を、コチコチにならぬよう、回転の鈍らぬよう、さらには、もっと柔らかく、もっと回転の速い頭に鍛え上げていくには、どんな努力をすればよいのであろうか。

 それには、頭の水路をつねに掃除し、詰まったところは早めに修理して、全体の水路系が、いつもいきいきと働くように、気をくばっていればよい。

 しかし、具体的に考えると、これは、なかなか容易なことではない。たびたび触れたように、水はどうしても幹線水路のほうを流れやすい。そうなると、水のかよわぬ水路はたちまちひからび、水が通りにくくなってしまうからである。
 
 したがって、ほんらい水のかよいにくい水路系を、つねに使用可能な状態に保つためには、それなりの意図的努力、つまりは、頭のハード・トレーニングをしていかねばならぬことになる。また、じっさい、頭のトレーニングをすることによって、眠りかけ詰まりかけていた水路を復活し、水をかよわすことができるものなのである。

 何年かまえ、私が、ヨーロッパの旅をしていたとき、身をもってこういう体験をさせられた。私は、ドイツ語やフランス語は、いちおう、学んだにもかかわらず、水路はとかく詰まりがちであった。ところが、ドイツに何日か滞在し、ドイツ語しか話せぬ人と、意思をつうじ合う必要が起こってみると、ふしぎなことに、少しずつ、ドイツ語の単語やら言いまわしやらを思い出してくる。それは、あたかも、水のかよわぬ水路に、久しぶりに水を引くときのような、また、ふだん眠りつづけていた脳ミソの一部が、刺激を受けて、少しずつ働きを取り戻すときのような感じであった。

 こんな例から考えると、私たちが必要に迫られて、どうしても、脳のある部分を使わねばならぬ羽目になると、けっこう、そこには、水路がつうじていくものなのである。

 水路には、完全な消失ということはありえない。忘れられたような古い水路でも、適当な刺激を受ければ、ふたたび水を流すことが可能なのである。

 アメリカの心理学者・マーフィーも、父親が子どものおもちゃを買ってきて、自分で試して楽しんでいる行動のなかに、幼いころの遊びの楽しさを発見する水路が再現されているのを見て、幼児期の水路が、いつまでも消失せずに残っていることの証拠としている。

 新しい知識を、どんどん貯えること、おおいに結構である。しかし、膨大な知識の直水池のようになりながら、すこしも頭脳そのものの働きが活発にならない、頭の回転の鈍い学校秀才型の人間が世にはびこっているのは、どうしたわけであろうか。

 そう考えると、いまの私たちに、ほんとうに必要とされているのは、新知識を貯えることもさることながら、いままでに身につけてきた知識や体験や教養を、いつなんどきでもフルに活用し、つねに頭をすばやく回転させる準備ができていることだといえよう。

 そのためには、ふだんから、頭の中の水路を縦横(じゅうおう)にかよわせる訓練をしておくことである。
 
 私がドイツで得た体験、そこにあった、脳ミソへの刺激になった状況、マーフィーの例の、父親を刺激したおもちゃというきっかけ――それに似た役割を果たすものを、意識的に私たちの眠っている頭脳に与えていけばよい。この本(頭の体操)で私が試みようとしたのは、まさにこのことである。

 人間の頭の諸機能を分析し、それを支えている心理学的事実をつきとめ、そのそれぞれに、適当な刺激となりうる問題をパズル形式で与える。それによって、頭脳の中に、新しい水路を、縦横にめぐらせようというわけである。


勉強になりました^^
取り入れた知識が使える脳にしたいです。

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