続き、多湖輝先生の「頭の体操」第2集
「頭の回転が速いとはどういうことか」より
「頭の回転をさまたげるもの」
心理学の用語の中に、「水路づけ」(キャナリゼーション・Canalization)という言葉がある。
広い河底に少しの水が流れるとき、河底の砂がけずられて、一本の水路(キャナル・Canal)ができる。ところが、いったん水路ができあがると、こんどは、水がそこを通りやすくなるために、しだいに掘り下げられ、広げられて、ますます水が流れやすい状態になっていく。これが「水路づけ」という現象である。私は、能動脈硬化症という症状は、明らかに、この水路づけの問題と関連があると考える。
たとえば、ここに何人かの若いご婦人の顔がある。
おそらくあなたは、この絵のご婦人が六十歳とかということは考えもしないことであろう。が、よくよくながめると、この絵は、そもそも、曖昧図形(ambiguousfigure)といって、見ようによっては、美しい若い婦人と見えるが、別な見方をすると、年老いた醜い老婆(むこう向きの若い女性の顔全体を鼻に見立てる)にも見える絵なのである。
したがって、このご婦人の年は? と聞かれた場合、あなたはとうぜん、若い婦人のほうか、それとも醜い老婆のほうかと、聞きなおさなければならないはずだったのである。それが、若い女性にしか見えない絵を何枚か見せられてきたあなたにとっては、老婆の姿を見いだすことがきわめて困難な状態となってしまった。これこそ、あなた自身の頭に、深く、固く、一つの水路づけができてしまった証拠である。
だいたい、この絵は、もとをただせば、アメリカの心理学者・リーパーが、水路づけの実験のために用いたものである。
被験者を、あらかじめ二つのグループに分け、そのおのおのに、別々な経験を踏ませてから、この絵を見せる。
別々な経験というのは、一つのグループには、どう見ても若い婦人にしか見えない図形、ほかのグループには、逆に、どうしても醜い老婆にしか見えない図形を、続けて何枚か見せるという意味である。
その結果は、まさに予想どおり。最後に出てくる曖昧図形を見ても、だれ一人、そこに含まれている別の像を、見いだすことは不可能だったというわけである。
こんなふうに、似たような経験にぶつかったとき、われわれの頭は、自動的に働いて、「あれだな」という判断を下してしまう。
そして、いったんこの判断が下されてしまうと、私たちの頭は、安心してしまって、他の可能性など、いっさい考えようとはしなくなってしまう。
ここに、水路づけのこわさがある。というのは、たとえばAからBの地点に行くのに、いつも一つの道を通っていくことに慣れている人は、けっして、ほかの方法を考えることはない。
むろん、水路づけが起こるのは、頭に限ったことではない。「なくて七癖」などといわれるように、人には、いろいろな癖がある。歩き方の癖、話し方の癖、身ぶり・表情などの癖は、だれにでもつきものだが、これらは、いわば、行動の面での水路づけと見ることができるであろう。
水路付づけの強さや内容は、人の性格によっても、年齢によっても違ってくる。性格的に見れば、偏屈で、しつっこいタイプの人は固執性が大きいし、年齢的には、幼児と老人が、水路の変わりにくさを示すといわれている。
けっきょく、人の一生のうち、生命力が旺盛で、経験がある程度豊富になった時期に、水路の変更も、もっとも容易になるということになろう。この時期に、頭の基礎をしっかりつくって、回転を速める努力をしておかなければならないということである。
固定概念は怖いですね。
人それぞれが持つ脳の癖、
メンタリズムはこの癖を利用してると聞いたことがあります。
ちなみに、「なくて七癖」とは
どんなに、よさそうに見える人でも、必ず、癖があるということらしいです。
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