2013年7月21日日曜日

色別影響力

色別 影響


   色の中で最も長い波長を持ち、人間の感情的興奮や刺激を与える。

   自分を目立てさせたいとき、主張したいときに効果的である。

   魔除けやおまじない、祝い事などに使われる色でもある。

   企業のイメージカラーに一番多く使用されている。

オレンジ
   陽気・活発・元気を連想させ、活動的にさせる。

   血管や自律神経を刺激し、身体に活力を与える。

黄色
   明るさや希望をイメージさせる。
 
   脳を活性化させたり、身体の新陣代謝を促進させる。

   金を連想させ、歴史上では高貴な色として扱われてきた。

   色の中で最も明度が高く、目立つので道路の標識や工場現場で使われる。


   調和とバランスを表す自然の色。

   毛細血管を広げ、疲れを取る癒しの色でもある。

   安全や安心をイメージさせ、非常口などに使われる。


   涼しさ・寒さを表す寒色系の代表色で、冷静沈着さを持つ。

   気持ちが落ち込んでしまう憂鬱状態も表す。

   世界中で最も人気のある色。


   高貴さ・優雅さを表す色で、歴史上では、支配者が権力誇示のために使ってきた。

   食欲を減退させてしまう色。

   情熱的な赤と、理論的な青の両方の性質を持つ神秘的な色。

   ファッションで上手に取り入れるセンスのよさをアピールできる。


   純粋さや純真さを表す色。

   過去を清算し、新しい自分に生まれ変わるための色でもある。


   光が反射せず、恐怖や死など負のイメージを表す色。

   相手を威圧し、力を象徴するほか、物言わぬ色として、哲学的な色とも言われる。



言われてみると、確かに、企業のイメージに赤はよく使われていますよね。
背景が赤で、字が白なのが多い気がします。ユニクロやネスレなんかもそうですよね。


安全や安心ですか。なるほど。
子どもの頃、お泊りで就寝時に、
この非常口の光を見てると落ち着いてたことを思い出しました。

ちなみに、この非常口のマークは日本人が作ったらしいですね。

色、面白いです(^^)

2013年7月20日土曜日

色が人に与える影響

色が人間の心理に与える影響

 何気なく生活していると意識することはほとんどないが、私たちは様々な色に囲まれて生活している。そして、この目に入ってくる色は、人間の心理に影響を与えているのだ。ここでは、それらについて紹介してみよう。


 赤は色の中で最も長い波長を持ち、人間の感情的興奮や刺激をもたらす色である。スペインの闘牛の布にも赤が使われているが、牛は色を判別しないという。観客が興奮するために赤が用いられているのだ。


 ピンクは恋愛の色で、女性的なイメージがある。幸福・やさしさなどを感じさせるほか、肌を美しく見せる効果がある色だ。


 オレンジは、陽気・元気・活発さを与えてくれるほか、食欲を増進させてくれる色でもある。朝の目覚めがよくないときには、オレンジ色を意識して取り入れると、血管や自律神経を刺激して身体を活動的にしてくれる。


 黄色は明るさや希望などをイメージさせる色。この色を見ると脳の活性化が期待でき、身体の新陳代謝を活発にするなどオレンジ色と同様に身体を活動的にしてくれる。


 自然の色である緑色は、調和とバランスの色だ。やすらぎ・安心・安定さを表し、身体を癒す色でもある。ただし、人間の肌を暗く見せてしまうため、カーテンなどインテリアには不向きだ。


 青は冷静沈着さを与える論理的な色。寒色系の代表でもあり、血圧や脈拍を少なくさせる効果がある。青を見ていると仕事や勉強への集中力が高まるので、仕事部屋やパソコン画面の色などに使うとよいだろう。


 紫は妖艶なイメージがあるが、高貴さを表す色でもある。オレンジとは逆に、食欲を減退させてしまう色で、どちらかというと芸術やファッション向きの色だろう。


 白は純潔さや清潔さを表し、過去を清算してリセットする色だ。これまでの自分を変えたいときには効果的だろう。


 黒からは負のイメージを抱きやすいが、この色は秘密を守り、パワーを蓄積する色でもある。そうしたシチュエーションには適している色だ。

 このように、それぞれの色が人間の心理に与える力は意外と大きい。色を意識して身の回りに配置することによって、自分の気分をコントロールすることも充分に可能なのだ。


(2007年記事)



最近はテレビや記事などにもよく色が持つ力について言われることが多くなりましたね。
色で分かる性格占いなんてのがあったことを思い出します。

相手が着ている服の色で勝手なイメージがつくこともあるのですから、
何かしら色には人に与える波長や、エネルギー、影響力があるのだと思います。

2013年7月19日金曜日

ミウラ折り

前回の続きです。

人類が宇宙を目指していなければなかった、身近な生活用品の中に、
人工衛星の技術から開発されているものがありました。

それが、地図です。折りたたみの地図! 
これは人工衛星のスピンオフで、
人工衛星のひらひらは、実は、折りたたまれてから、宇宙で広げているだそうです。


一発で広げられるこの折方はミウラ折りといって、みうらという大学教授が考えたそうです。

この地図の展開図がこちら。


折方の映像はこちら→ http://www.miura-ori.com/usage.htm

こうしてみるとすごく複雑にできているんですね。

全部折り線がななめになっているのが、ミウラ折りの秘密で、
こうなっていると、簡単にパッと開いて、パッと閉じられるわけです。
普通に折った紙とミウラ折りでは厚さがも全然違って、ミウラ折りだと断然薄いです。

「ミウラ折りとは、1970年に東京大学宇宙航空科学研究所の三浦公亮(現・東京大学名誉教授)が考察した折り畳み方である。
ミウラ折りは、人工衛星のパネルの展開方法を研究する過程で生み出され、身近なところでは地図の畳み方や飲料缶などに使われている。

特長
・紙の対角線の部分を押したり引いたりするだけで即座に簡単に展開・収納ができる。
・直線的な折では山折りと谷折りを取り違えやすく、繰り返すと紙が切れやすくなる。ミウラ折りでは山折りと谷折りの位置が固定していて破れ難い。

注意
きわめて緩い角度のジグザグの折り目を付けることにより、縦方向へと横方向への展開・折り畳みが、並別にかつ極めて非線形な比で移り変わることがキモであり、単に直角に折っただけのものや、蛇腹(じゃばら)状というだけではミウラ折りとは言えない。さらに、この角度によって発生するズレがあることにより、無限に薄くはない材料に無理をかけず折ることができ、そのことも敗れ難さに貢献している。」(ウィキより)

2013年7月18日木曜日

ダイアカットデザイン

こんにちは。 久しぶりの投稿になります。

この前、「パテナの神様!」というバラエティ番組を見ました。
内容は「宇宙での暮らし方が丸分かり!」というもので、とても面白かったです。

生きているうちに宇宙旅行に行きたいと思っているので、宇宙旅行に関する話はとても興味深かったです。 今回、俳優の岩城滉一さんが宇宙に行くらしいですね。宇宙までお値段が気になりますが、なんと、一人当たり2500万円だそうです。
高いと思いましたが、むしろ安いのでしょうか?よく分かりません。キャンセルしても、500万円払わなければいけないとか・・・(汗)
しかも、宇宙にいられるのはたったの4分; そして2時間かけ、地球へ戻るそうです(--;)。

そして、以前から楽しみにしていた、宇宙エレベーターの話も出ていました。 
以前、何かの番組で見たときは2028年にできると聞いたような気がしたのですが、この番組では2050年となっていました。(ガーーン) はたして生きてるうちに行けるのでしょうか・・・。
そしてエレベーターのお値段が一人あたり500万円だそうです。 一週間かけて宇宙へ行き、また一週間かけて地球に戻るのだそうです。
ほぼ一ヶ月ですが、それでも行きたいです宇宙。地球の外から地球を見たら美しいだろうな。

他にも、名前を登録すれば、自分の名前をハヤブサみたいなのが、地球外の星に記入してくれるそうです。個人的にはなんだか微妙な話でした・・; 他には宇宙食の話などが面白かったです。

後半は、私たちが普段使っている身近な生活用品が、
人類が宇宙を目指していなければ、なかったというものでした。

車のハンドルや枕、そして缶チューハイがその中に含まれていました。



缶チューハイと宇宙技術の関係

三角形の模様は、ロケットの設計技術から生かされているらしいです。


ダイアカットデザイン缶

缶をくしゃっと潰していくと、それ以上潰れないところまでいきますよね?
その状態が一番強いわけです。

PCCPシェル構造といって、このような考えに基づいてできたのが、ダイヤカット缶なんです。
ダイヤカット缶は強度がそのまま軽量化できるので、運ぶのも便利なんだとか。

いろいろ考えられて、身の回りの当たり前の物は作られてるんですね。
ダイアモンド錯視を知ってから、最近妙に、ダイア模様に反応してしまいます(笑)

2013年6月30日日曜日

頭のエンジン(3)



図のように、テレビ受像機と、テレビカメラがあり、このカメラで映した像が、この受像機に映るようになっている。ところで、いま、このカメラで、この受像機を映したとすると、受像機のブラウン管には、どんな像が映るか。 (制限時間・25分)








図のように、このテレビ受像機自体の像が、無限に写ることになる。


教訓
じっさいにこの現場を知らなくとも、日常生活でこれに似た状況、たとえば、向かい合って立てた二枚の鏡の、たがいに映る像などに興味を示したことのある人なら、答えのいろいろな可能性のなかから、この正解への水路づけが、よりかんたんにできるはずである。ほかにも、電話で、その電話自体の番号を回してみるとどうなるかとか、人真似ばかりしてしようがない猿を箱の中へ閉じ込めて、何をしているか、穴から覗いてみたら、猿のほうでも、その穴から覗いていたという話とか、ある現象が、それ自体の中に戻ってくるような、一種、ひじょうに特殊性のある事柄に、あなたの頭の水路は、どのようなひらけ方をしていただろうか。よく点検してほしい。

多湖輝先生の「頭の体操」より


自分のケータイ番号に、自分のケータイでかけるとどうなるのでしょうか?
考えたことがなかったので、どうなるのかとても気になりました。
誰か試した人はいないのか、検索してみましたが、あまりはっきりした情報がなかったので、
自分のケータイで試してみることにしました。 
なんだか怖いです・・(笑)

結果、
自分のケータイ番号にかけると、私の場合、
秘密番号を入れてくださいというメッセージが出て、かかりませんでした。 
面白くないですね(^^;)
私は海外暮らしなので、日本のケータイではどうなるのかわかりませんが、
いつか日本のケータイで試してみようと思います。

2013年6月29日土曜日

頭のエンジン(2)




問1
これは、ある殺人事件の現場図である。フロント・ガラスには弾痕が二つあり、車の中の男は、左肩を射貫かれている。右手にはピストルを握りしめ、死ぬまえに一発発砲していた。向かって右の弾痕が犯人の発砲によるもの、左側が、殺された男によるものである。この男を撃った男は、現場にぼうぜんと立ちつくし、つぎのように証言した。
「私が撃ったのは完全に正当防衛。街を歩いていると、この車の中からとつぜん発砲されたので、夢中で応戦したまでだ」 この証言は信じられるか? (制限時間・15分)








信じられない。理由は、フロント・ガラスの弾痕を見ればわかる。証言した男のピストルの弾痕は、向かって右側のものだが、右の弾痕のひび割れのところで、左側の弾痕のひび割れが止まっている。これは、右のひび割れができたのちに、左のひび割れができたことを示している。車の男は、左肩を撃たれ、残る右腕で必死に応戦したものと考えられる。

教訓
推理の鍵となっているのは、なにも特別な知識ではない。その平凡な知識に、いかにこの問いの本質を結びつけるかが問題なのである。二つの重なった足跡を見て、両者の時間的前後関係を問われたとしても、わからない人はいまい。それと同じことである。


問2
十階建てのビルの八階に用事があるのだが、あいにく停電でエレベーターが動かない。一階から階段を上り、四階まで来るのに四十八秒かかった。同じペースで八階まで上がるのに、あと何秒かかるか。 (制限時間・20秒)








六十四秒。四十八秒ではない。四階まで四十八秒だからというので、八階までのあと四階も四十八秒と考えるのは性急にすぎる。一階から四階までに階段は三回しかない。とすれば、一階ごとに十六秒かかっているはずである。

教訓
私たちの心理的空間の中では、生活の基盤となり、基盤系となっている地面は、そのまま0(ゼロ)階であるという意味をもっている。そのために、八階すなわち四階の二倍という無意識的レベルでの計算の誤りに、どうしても落ち込みやすい結果となる。あなたの場合、はたして、正解への道筋をすぐ見つけ出せたただろうか。客観的世界と心理的世界とのあいだにあるギャップに、すぐ気づくことができただろうか。その点をよく吟味していただくための問題である。

多湖輝先生の「頭の体操」より

2013年6月28日金曜日

頭のエンジン問題

頭のエンジン始動

問1
二人のけちぼうがいる。形の違うコップが二つだけあり、その一方にジュースが注がれている。この一杯を、二人で分けて飲もうということになったが、両方から、ぜったいに文句の出ないようにジュースを分けるにはどうすればよいか。 (制限時間・20分)



まず、一人が、自分がどっちを取っても文句がないと思うまで、じっくりと酒を二つに分ける。つぎに、もう一人が、その二つのうち、自分の欲しいと思うほうを一つ選ぶ。そして残ったほうを、はじめの男が取れば、両方から文句が出るはずがない。

教訓
公平であるという事柄を、私たちは常日頃、できるだけ客観的に測ろうとしている。ところが、ここで「文句が出ない」という言葉によって表現されている一種の公平さというものは、この二人の、たいへん主観的な判断によるものである。そうなると、たんに現状を即物的に捉えるだけではすまなくなり、この場合なら、二人の内部世界、気持ちの動きを問題にしなくてはならない。そういうところに問題を設定する思考の水路が、あなたの頭の中には、あっただろうか。


問2
消しゴムとは、物を消すものである。しかし、それだけではない。左の枠内のA、B、Cの、Bを消すために、消しゴムで十秒ほどこすってみると、枠内に、いままでなかったものが現れる。何か? (制限時間2分)








消しゴムの消しカス。

教訓
消しゴムに関係して問題になるのは、ふつう、消される対象と、それが除かれたあとに現われる、その下の層である。このとき、消しゴムは、物を消すという目的行動の下に置かれるため、その目的思考にとって、派生的なもの、たとえば、この問いの答えであるゴムのカスなどは、完全に意識の外に置かれてしまう。これと似たことは、私たちの日常に、じつに頻繁に現れてくる。たとえば、お見舞いという目的をもった外出の場合、その目的行動の系列下に置かれた、見舞品を買うことなどは忘れないが、その系列外にある手紙の投函などは、すっかり忘れられてしまうことが多い。この派生的な事柄に、いかに水路をかよわせるかが、この問題をあげた意図である。

多湖輝「頭の体操」より

2013年6月25日火曜日

絵の具のついた穴

こんにちはイサクです。

今回は、なるほどなと思ったポパーの言葉を紹介してみます。

客観的に物事を見る事はとても大切なことですよね

客観的とは、個人的な考えに支配されず、公平に判断する態度のことです。

また、客観的の対義語は、主観的です。

主観的とは、個人的な考えに支配され、公平に判断しない態度のことです。


「科学とはいかなる先入観も捨て去り自然現象を客観的に見つめる学問」

オーストリアの哲学者カール・ポパーは、「科学者は穴の開いたバケツ」と比喩しました。

穴の開いたバケツを水につけると、その穴から水が流れ込み、溜まっていきます。

つまり、科学者(バケツ)は、自然界からデーター(水)を一方的に受け取り、蓄積し、分析する、というわけです。

では、もし、そのバケツの穴に、絵の具がついていたらどうなるでしょうか?

穴から流れ込む水はにごり、そのにごった水を取り込むことになります。

これでは、バケツの外にあった水が、本来どんな色だったのかわからなくなります。

科学者も人間である限り、いろいろな考えを持っています。 

しかし、自分の考えに影響を受けながら観察していては、ありのままのデーターを得る事はできません。 

先入観や偏見を捨て去り、客観的に自然を観察することが、科学の本質であるとポパーは言いたかったのです。



科学者に限らず、私達にとっても、
この穴の開いたバケツはとてもよく当てはまる内容だと思います。 

自分の固執した考え、決め付けを持った(絵の具のついた)状態でいることは、

いつまでたっても、物事(外)の本質が見えずにいるということなのかもしれません。 


2013年6月21日金曜日

頭の回転を速める法

多湖輝先生の「頭の体操」第2集
「頭の回転が速いとはどういうことか」より


「頭の回転を速める法」

 私たちの頭の中には、実は無数の水路が網の目のように広がっている。

 ところが、この水路の網の目が、いつのまにかコチコチになり、いつも使っている幹線水路だけを残して、あとは、詰まったり、水漏りしたりしはじめたとしたら、私たちは、これを、どうやって修理し、復旧していけばよいのであろうか。また、せっかく弾力に富み、水路の網の目も正常に働いている回転のよい頭を、コチコチにならぬよう、回転の鈍らぬよう、さらには、もっと柔らかく、もっと回転の速い頭に鍛え上げていくには、どんな努力をすればよいのであろうか。

 それには、頭の水路をつねに掃除し、詰まったところは早めに修理して、全体の水路系が、いつもいきいきと働くように、気をくばっていればよい。

 しかし、具体的に考えると、これは、なかなか容易なことではない。たびたび触れたように、水はどうしても幹線水路のほうを流れやすい。そうなると、水のかよわぬ水路はたちまちひからび、水が通りにくくなってしまうからである。
 
 したがって、ほんらい水のかよいにくい水路系を、つねに使用可能な状態に保つためには、それなりの意図的努力、つまりは、頭のハード・トレーニングをしていかねばならぬことになる。また、じっさい、頭のトレーニングをすることによって、眠りかけ詰まりかけていた水路を復活し、水をかよわすことができるものなのである。

 何年かまえ、私が、ヨーロッパの旅をしていたとき、身をもってこういう体験をさせられた。私は、ドイツ語やフランス語は、いちおう、学んだにもかかわらず、水路はとかく詰まりがちであった。ところが、ドイツに何日か滞在し、ドイツ語しか話せぬ人と、意思をつうじ合う必要が起こってみると、ふしぎなことに、少しずつ、ドイツ語の単語やら言いまわしやらを思い出してくる。それは、あたかも、水のかよわぬ水路に、久しぶりに水を引くときのような、また、ふだん眠りつづけていた脳ミソの一部が、刺激を受けて、少しずつ働きを取り戻すときのような感じであった。

 こんな例から考えると、私たちが必要に迫られて、どうしても、脳のある部分を使わねばならぬ羽目になると、けっこう、そこには、水路がつうじていくものなのである。

 水路には、完全な消失ということはありえない。忘れられたような古い水路でも、適当な刺激を受ければ、ふたたび水を流すことが可能なのである。

 アメリカの心理学者・マーフィーも、父親が子どものおもちゃを買ってきて、自分で試して楽しんでいる行動のなかに、幼いころの遊びの楽しさを発見する水路が再現されているのを見て、幼児期の水路が、いつまでも消失せずに残っていることの証拠としている。

 新しい知識を、どんどん貯えること、おおいに結構である。しかし、膨大な知識の直水池のようになりながら、すこしも頭脳そのものの働きが活発にならない、頭の回転の鈍い学校秀才型の人間が世にはびこっているのは、どうしたわけであろうか。

 そう考えると、いまの私たちに、ほんとうに必要とされているのは、新知識を貯えることもさることながら、いままでに身につけてきた知識や体験や教養を、いつなんどきでもフルに活用し、つねに頭をすばやく回転させる準備ができていることだといえよう。

 そのためには、ふだんから、頭の中の水路を縦横(じゅうおう)にかよわせる訓練をしておくことである。
 
 私がドイツで得た体験、そこにあった、脳ミソへの刺激になった状況、マーフィーの例の、父親を刺激したおもちゃというきっかけ――それに似た役割を果たすものを、意識的に私たちの眠っている頭脳に与えていけばよい。この本(頭の体操)で私が試みようとしたのは、まさにこのことである。

 人間の頭の諸機能を分析し、それを支えている心理学的事実をつきとめ、そのそれぞれに、適当な刺激となりうる問題をパズル形式で与える。それによって、頭脳の中に、新しい水路を、縦横にめぐらせようというわけである。


勉強になりました^^
取り入れた知識が使える脳にしたいです。

2013年6月20日木曜日

頭の回転をさまたげるもの

続き、多湖輝先生の「頭の体操」第2集
「頭の回転が速いとはどういうことか」より


「頭の回転をさまたげるもの」

 心理学の用語の中に、「水路づけ」(キャナリゼーション・Canalization)という言葉がある。
広い河底に少しの水が流れるとき、河底の砂がけずられて、一本の水路(キャナル・Canal)ができる。ところが、いったん水路ができあがると、こんどは、水がそこを通りやすくなるために、しだいに掘り下げられ、広げられて、ますます水が流れやすい状態になっていく。これが「水路づけ」という現象である。私は、能動脈硬化症という症状は、明らかに、この水路づけの問題と関連があると考える。
 
 たとえば、ここに何人かの若いご婦人の顔がある。


この顔を右の方から順番にながめて、一人一人の年齢が、およそどのくらいであるか、だいたいの見当でよいから、考えてみていただきたい。そして、それがひととおりすんだら、こんどは、こちらの絵を見ていただくことにしよう。


 あなたは、このご婦人を見て、およそ、いくつぐらいの人だと思われるだろうか。

 おそらくあなたは、この絵のご婦人が六十歳とかということは考えもしないことであろう。が、よくよくながめると、この絵は、そもそも、曖昧図形(ambiguousfigure)といって、見ようによっては、美しい若い婦人と見えるが、別な見方をすると、年老いた醜い老婆(むこう向きの若い女性の顔全体を鼻に見立てる)にも見える絵なのである。
 
 したがって、このご婦人の年は? と聞かれた場合、あなたはとうぜん、若い婦人のほうか、それとも醜い老婆のほうかと、聞きなおさなければならないはずだったのである。それが、若い女性にしか見えない絵を何枚か見せられてきたあなたにとっては、老婆の姿を見いだすことがきわめて困難な状態となってしまった。これこそ、あなた自身の頭に、深く、固く、一つの水路づけができてしまった証拠である。
 
 だいたい、この絵は、もとをただせば、アメリカの心理学者・リーパーが、水路づけの実験のために用いたものである。
 
 被験者を、あらかじめ二つのグループに分け、そのおのおのに、別々な経験を踏ませてから、この絵を見せる。
 
 別々な経験というのは、一つのグループには、どう見ても若い婦人にしか見えない図形、ほかのグループには、逆に、どうしても醜い老婆にしか見えない図形を、続けて何枚か見せるという意味である。
 
 その結果は、まさに予想どおり。最後に出てくる曖昧図形を見ても、だれ一人、そこに含まれている別の像を、見いだすことは不可能だったというわけである。
 
 こんなふうに、似たような経験にぶつかったとき、われわれの頭は、自動的に働いて、「あれだな」という判断を下してしまう。
 
 そして、いったんこの判断が下されてしまうと、私たちの頭は、安心してしまって、他の可能性など、いっさい考えようとはしなくなってしまう。
 
 ここに、水路づけのこわさがある。というのは、たとえばAからBの地点に行くのに、いつも一つの道を通っていくことに慣れている人は、けっして、ほかの方法を考えることはない。
 
 むろん、水路づけが起こるのは、頭に限ったことではない。「なくて七癖」などといわれるように、人には、いろいろな癖がある。歩き方の癖、話し方の癖、身ぶり・表情などの癖は、だれにでもつきものだが、これらは、いわば、行動の面での水路づけと見ることができるであろう。
 
 水路付づけの強さや内容は、人の性格によっても、年齢によっても違ってくる。性格的に見れば、偏屈で、しつっこいタイプの人は固執性が大きいし、年齢的には、幼児と老人が、水路の変わりにくさを示すといわれている。
 
 けっきょく、人の一生のうち、生命力が旺盛で、経験がある程度豊富になった時期に、水路の変更も、もっとも容易になるということになろう。この時期に、頭の基礎をしっかりつくって、回転を速める努力をしておかなければならないということである。


固定概念は怖いですね。
人それぞれが持つ脳の癖、
メンタリズムはこの癖を利用してると聞いたことがあります。

ちなみに、「なくて七癖」とは
どんなに、よさそうに見える人でも、必ず、癖があるということらしいです。

2013年6月19日水曜日

頭の回転のメカニズム

「頭の回転が速いとはどういうことか」‐ 多湖輝


「頭の回転のメカニズム」
 
 「言語連想」というものがる。一つの言葉(刺激語)を聞いて、心に浮かんでくる言葉をつぎつぎに言っていく。そして、出てきた言葉の相互関係や、バラエティを調べるものである。

 このテストでも、やはり、いちばん問題になるのは、ある特定のイメージ、特定の反応語に対する、その人の固執度が、どのくらいあるかということである。

 たとえば、ある人は、「万年筆」という刺激語に対して、なかなか連想が起こらずに、あれこれと、言葉を探しまわる。これは、もちろん、連想の貧弱さに起因する現象である。ところが、このとき、同じ連想の貧弱な人のなかに、ある特定の一つないし二つの言葉はすぐ浮かぶが、あとがなかなか浮かばない、というタイプの人がいる。たとえば、「万年筆」という刺激語に対して、「インク」とか「キャップ」とかいう言葉は、すぐ浮かんでくるが、そのほかの言葉が、うそのように浮かんでこない。

 つまるところは、連想がまったく浮かばぬこちこちの石頭と同じだということになるわけだが、こわいのはむしろこういう頭の持ち主かもしれない。むろん、こんな現象は、連想の世界だけにとどまるものではなく、さまざまな知識にしても、行動にしても、これと同じことで、いつもきまって、判で押したような定型的な反応は起こるが、そのほかの考え方とか行動とかが、ぜったいにとれない人がいる。「三角形」と聞けば「ピタゴラス」、「サイコロ」といえば、すぐ「確率」というような結びつきが起こってしまって、ほかの可能性が、まったく考えられない。こうした頭の持ち主を、私は、頭脳脈硬化症と名づけたわけである。

 ところで、人によって、なぜ、反応語にこれほどまでの差ができるのであろうか。人によって、知っている知識や言葉の量(ボキャブラリー)に、連想の差を起こさせるほどの、違いがあると考えるべきなのであろうか。

 答えはもちろん「ノー」である。むろん、知識や教養の差によって、ボキャブラリーの多少の差はあろう。しかし、同じ日本人として生まれ、日本語を使いなれているあなたと私のあいだに、日本語のボキャブラリーに、それほど決定的な相違があるとは思われない。

 だとすれば、いったい、何が、連想の豊かさと貧弱さ、連想の速さと遅さなどの差をもたらす条件になっているのであろうか。


マインドマップの存在を思い出させます・・

2013年6月18日火曜日

難問をやさしくする法

前回の「頭の回転が速いということはどういうことか」の続きになります。

「難問をやさしくする法」- 多湖輝
 一見ひじょうに複雑な数学の問題も、一定の法則を発見することによって意外にかんたんに解けることがある。たとえば、「一から十までの数字を全部加えると五十五になる。それでは、一から一万までの一万個の数字(整数)を加えるといくつになるか」(制限時間・三十秒)
 むろん、まともにやっていたら、たいへんな計算になる。そこで、何かかんたんにできる工夫はないか。
 この問題の原型は、有名な数学者・ガラスが、まだ少年のころに考え出したものである。彼は、一から百までの全整数を合計するとき、この全数を一と百、二と九十九、三と九十八というように、両端から一つずつ、加えて百一になる二つの数の組として考えた。こうすれば、この組は、全部で五十あるから、合計は、百一の五十倍で、五千五十になる。じつに簡単な計算法である。この問題も、同様に考えれば、まったくかんたんになってしまう。つまり、一と一万、二と九千九百九十九のように、加えて一万一になる数の組が、五千あると考えればいいのである。したがって答えは、10001×5000=50005000 五千万五千ということになる。

 言われてみれば、「なあんだ」というこいとになるが、この計算法を、はじめて思いついた人は偉大である。問題にあるように、三十秒で、何の予備知識もなく、この方法に思い至った人がいたとすれば、その人も、大数学者・ガウス並みの頭脳の働きをもっているといえるだろう。ほかに使いなれた、あたりまえの計算法があるのに、もっとかんたんな方法はないかと、鋭く真剣に頭をめぐらせる。
 とくに、この問題のように、とほうもなく長い時間を要するであろうと思われて、じっさいに窮地に陥ったとき、機敏に頭を回転させて、与えられた問題の本質を見抜き、条件を整理し、法則性を発見していく。これこそ、典型的な頭脳のフル回転といっても過言ではない。
 こんなふうに、頭の使い方ひとつで、むずかしい問題が、急にやさしくなってしまったり、能率やスピードが、ぐんと上がったり、窮地を脱出できたりするような例は、日常生活の中にもたくさんある。たとえば、てきぱきとものごとを処理できる能力とか、一を聞いて十を知る理解力や勘のよさとか、はては、ユーモアやウィットのセンスにまで結びついてくるのが、ここで問題にしようとしている、頭の働きの心理学的側面である。
 そういうことを含めて、いわゆる上手な頭の使い方の例は、ほかにもまだ、いくらでもあるだろう。が、問題なのは、方法を知っていても、いざ本番という段になって、せっかくの知識が、あんがい、使わずじまいになることが少なくないということである。
 ここに紹介した計算法にしても、ふつうの計算法が頭にこびりついているかぎり、とっさのさいに、頭の切り換えができにくい。アイデア開発の方法や、非常事態や行き詰まりに直面したときの奪回策、ユーモアやウィットにあふれる処世術などを知識として心得ていても、それがやはり、いざというときに役に立たないことが多いのだ。これはいったいなぜだろうか。つぎに、それを考えてみることにしよう。
 
エジソンのたまごですね・・・。

2013年6月17日月曜日

「頭の回転が速いとはどういうことか」多湖輝

こんにちは

多湖輝先生の「頭の体操」第2集を読み直してみました。 

すっかり内容を忘れてました
載っている問題のほとんど解けずショックです

頭の回転について書かれていたことが面白かったので載せてみます。


「頭は使いようである」- 多湖輝

 一般に、頭の回転が速い、頭の働きが活発だというのには、どのような意味があるのだろうか。

 第1集ではお話できなかったこの点を、私たちの頭の働きを支配している心理学的事実にまでさかのぼって、お話したい。

 まず、手はじめに、やさしい問題をやっていただこう。


「図のように100ccまで目盛りのついた薬瓶がある。いま、薬を100ccまで入れたが、そのあと栓のところまで何cc入るかがわからない。ほかの道具を使わないで、これを知るにはどうすればよいか。」

第1集で、真剣に頭の訓練をしてきた人には、難なく解ける問題かもしれない。
しかし、日頃、特別な頭のトレーニングをしてない人にとって、この問題は、難解の一語につきるであろう。

 正解は、栓をしたまま、瓶をさかさにして、できた空間の部分の目盛りを読めばよい。言われてみれば、驚くほどかんたんなことである。しかし、瓶をさかさにするというアイデアは、出そうに見えて、じつはなかなか出てこないアイデアである。

 同様に、物差しでは測れないような、でこぼこの丸太の周囲も、セロテープのようなものをぴったりと巻きつけ、それを剥がして、長さを測ればよいだろうし、複雑な形の固体の体積も、液体の中につけて、目盛りの上昇を読み取れば、かんたんに測定できる。長さでも、面積でも、体積でも、測定しにくいものは、測定しやすい形に変えて測ればよいわけだが、このかんたんな原理が、現実には、なかなか適用できない。

 先ほどのようなかんたんな例にしても、三次元から二次元へ、固体から液体へ、などという飛躍的な頭の切り換えが、必要とされるからである。この飛躍的な頭の切り換えが一瞬にしてできるということが、すなわち頭の回転が速いことにつながる。


瓶を逆さにする。今は思いつきましたが、
この本を読んだばかりのころは全然分かりませんでしたね;

子どもの頃、母がこのシリーズを買ってきてくれましたが、
問題にのめりこめず、漢字も読めずで(笑)
その辺に転がってましたね;
もったいない(><)

ゲシュタルト崩壊 (漢字)

ゲシュタルト崩壊



これも前回に続きコナンに出てきた内容です


話では、何度も同じ字(漢字)を見ていたにも関らず、
その字が書けなくなるいう事が起きていました。


そんな事が本当に起きるのか?
と思いましたが、


そういえば、漢字練習で何度も同じ字を書いていると
ある時、「あれ? どう書いたっけ?」
というような感覚があったような気がします。


さっきまで練習してたのに、覚えられず、
書けないことにちょっとしたショックや
イライラした覚えがあります。


もしかしてこの感覚のことなのでしょうか??


(話の引用)

壁のシミや雲の形が顔みたいに見えることがある。あれは脳の中にある顔ニューロンが反応して、ついつい顔だと認識してしまうからだ。

その顔ニューロンによく似た漢字ニューロンというものも脳にあり、同じ漢字を何度も見続けるとその漢字ニューロンが疲れて、機能低下を起こしてしまい、よく知っている字でも、わからなくなることをゲシュタルト崩壊という。


ニューロンの話は聞いたことがあります。


前回載せた「残像」でも、
イエス・キリストの絵が浮かびあがりますが、


イエスを知らない人からすれば
人のようなものが写っただけだと思うでしょうね。


壁の模様も同じで
お化けに見えたりする人もいれば(私がそうでしたw)、


別のニューロンによって、
まったく違うものに見えてる人もいるわけですね。


(ウィキより引用)

「ゲシュタルト崩壊とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造、形態から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。
幾何学図形、文学、顔など、視覚的なものがよく知られるが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる。

認知心理学の視点から「文字のゲシュタルト崩壊」が研究されている。これは、例えば同じ漢字を長時間注視しているとその漢字の各部分がバラバラに見え、その漢字が何という文字であったかわからなくなる現象である。

ゲシュタルト崩壊の発生要因については未解明な部分が多く、静止網膜症のように消失が起きないことなどから、感覚器の疲労や順応によるのではなく、「比較的高次な認知情報処理過程によって発生する」ことがわかる程度である。


錯視内容はそれぞれ
クレイジーダイアモンド 名探偵コナン653話
ジャストロー錯視     名探偵コナン634話
ゲシュタルト崩壊     名探偵コナン635話
に,出てきます面白いですよ^ ^

2013年6月16日日曜日

ジャストロー錯視 バームクーヘン辺

前回に続き、
名探偵コナンに出ていたi錯視の内容になります。


毒入りのバームクーヘンを食べ、殺されてしまった被害者


被害者はトレーに2つ残されていたバームクーヘンを食べたのですが、
残された2つの内、1つだけが毒入りでした。


この時、被害者は何故か
向かい側にある(毒なし)バームクーヘンを食べず、
わざわざ奥においてある毒入りのバームクーヘンを食べ、死んでしまいました。


これは犯人の錯視を利用した仕掛けだったのです。


その事に気づいたコナン達はバームクーヘンをトレーに置き、
再現してみることにしました。


すると、
再現用の切られたバームクーヘンはどれも均等な大きさだったはずなのに、
奥においてあったバームクーヘンが大きく見えたのです。


向かい側と奥のを重ねてみてもやはり
どちらも同じ大きさでした。


この奥においてあったバームクーヘンが
大きく見える現象を、ジャストロー錯視というのだそうです。


(引用)
物の大きさを見比べるとき、人はつい、
一番近い隣り合ったところの長さを比べてしまう。

だからバームクーヘンのようなおおぎ形をしたものが並べておいてあると、


長い辺と短い辺を比べてしまい、
同じ大きさなのに奥にあるほうが大きいと勘違いしてしまう。




似た画像を探してきました

どうですか?

確かに上の方が大きく見えます・・


腹ぺこだった被害者は犯人の意図通り、
大きく見えるバームクーヘン(毒入り)を食べてしまったというわけですね。


これは恐ろしい・・・(汗)

しかし、錯視についてはとても面白かったです。

2013年6月15日土曜日

陰影付きダイヤモンド

この前、テレビをつけていたら、コナンが放送されていました。

最近はあまりテレビを見ないので、すぐ消そうと思っていたのですが・・・


消せない(笑)


久々に見ましたが、やはりコナンは面白いですね!


続きが気になってテレビから離れなくなりました

ついでに母もきて、二人でコナン観てました(笑)


内容は、犯人が目の錯覚を利用したトリックを使っていたというものです。


その中に、陰影付きダイヤモンドというものがありました
通称ダイアモンド錯視クレイジーダイヤモンドともいうようです。


それぞれ違う色のひし形タイルかとおもいきや、
実はどれも同じ色のタイルだったのです


試せるサイトがあったのでどうぞ
http://xxx.xxxxxxxx.jp/illusion.html

本当に不思議ですね・・・
嘘みたいです;

これは、一つ一つのひし形が、
上下部の角度が30度から40度で軽くグラデーションがかかっていて、
そのひし形が隣接すると、人の目は一つの一つの点に反応し、
上のひし形と、下のひし形がまるで別の色のように見えてしまうからだとか。


脳の錯覚だったんですね。




ところで、話は変わりますが、
「ダイ」なのか「ダイ」なのか分からなくなりました;

どっちでしたっけ・・(汗)

気になったので見てきました。

「 国語表記の基準ではイ列とエ列の音の
次のアの音にあたるものは原則として「」と書く
例:タイヤ、ダイヤモンド、ダイヤル 

どうやら、ダイは「」でよかったみたいですね
(^^;)ほっ

2013年6月14日金曜日

12フェイス


顔探しです。

全部で12人の顔があります

私はどうしても11人しか見つかりません;

答え


 
青く囲ったのが私が見つけられなかった顔なんですが
どう見ればいいんでしょうか?

今だに顔に見えません;

こちらはたくさんいますね・・・
よく見えないのでちがうかもですが、24人くらいいるのかな?

2013年6月13日木曜日

かげおくり



かげおくり」 ってご存知ですか?


かげおくりとは晴れた日に、自分の影をじっと見つめ、10秒ぐらいしてから空を見上げると、
空に自分の形が白い影として映って見える現象を利用した遊びのことです。


これは小学生の頃、国語の教科書に載っていて、
ちいちゃんのかげおくり」 というお話に出てきました。


それを知ってからは、晴れた学校帰りによく友達とやってました^^ 懐かしい♪


昨日の記事に載せた残像画像を見ていたら、
かげおくりの事を思い出したので、調べてみました。


ちいちゃんのかげおくりの内容や、かげおくりについて詳しく書いてあります。


あの現象のことを陰性残像というみたいですね。


うーん・・・ 難しいですが、なんだか面白いです(^^)


そして、ちいちゃんのかげおくりの朗読発見!


そうそう、こんな話でした・・・(泣)


実はこの話、歌があるんです
皆で合唱した覚えがあります
全校生の前で3年生の発表として歌いました。(3年生だったんか;)


当時は歌詞が多くて難しかった覚えがあります
今はメロディーしか思い出せないけど、
曲が長くて、覚えるのが大変でした。


懐かしい感じの動画がありました^^
当時を思い出すなー
みんなちいさくてかわいいです


ていうか・・・・
ここ、卒業校かも・・・・;;;
背景がそっくりなんですが!?(@д@)

2013年6月12日水曜日

残像

こんなびっくりするものを見つけました




説明にあるように、中心にある4つの点を30秒みて目を閉じると
あるものが浮かんでくるんです。







見えましたか?




「あれ? 何も見えないじゃん」


と思いきや、


ぬわ~と 出てきたー (笑)


結構リアルだったので
正直、ゾッとしました。


もう一度この絵を見てみると
なんとなく既に形がそれ(イエス・キリスト)っぽいですが、


これは何かしらの目の仕組みを利用して作られているんでしょうね。


この仕組みが分かれば、他にもいろいろなものを見せることができるのかも知れません。



コチラのサイトだと、目を閉じなくても見えるみたいですよ。


もう一つ似たようなものを見つけました。

2013年6月4日火曜日

見方がかわると


フェイスブックに出回っていた、少年ジャンプのマークです。



当たり前のように見てきた船長さんですが、


見方を変えると女の子に見えるんですね!


笑ってしまいました。


しかし、


一度女の子に見えてしまうと
その後、


今ままでどうやって船長を見ていたのかが分からなくなりました;


恐ろしいものですね(^^;)

2013年6月3日月曜日

人影の中


こんばんはイサクです。

上の写真は、イギリス人の、ティム・ノーブルと
スー・ウェブスターの影アートです。

2人はパートナーであり、共同で現代のコマーシャリズムや
消費社会をテーマにした作品を制作しているそうです。

2人の影アートの中で私が特に好きな作品が、
このゴミでできた人の影です。



この写真をはじめてみたのは何年も前ですが、当時は感動しました
今みても素敵です。

どこにでもあるようなゴミがうまく組み合わさって作られた影

人をゴミで表現しているところが
特にこの作品の好きなところです。

こちらの写真の方が
積まれたゴミの影が人の形をしているのがよく見えると思います


二人が背中合わせに座っている影が浮かび上がります
ひとりはタバコ、もうひとりはワイングラスを片手に持つといった、
細かい部分まで見事に表現されています。

他にも2人の影アートはたくさんありますが 
やはりこのアートの発想は私のお気に入りです(^^)

何を使って影を表現するのかも、
面白さの一つなのかもしれません。

このゴミ影を観ていると、いろんなことが想像でき、
また、いろいろと考えさせてくれます。

悪い意味ではありませんが、
人もこの影のように
細やかな一つ一つがかき集められて
人の形をしているのかもしれない・・・

そんなことを思いました。


こちらの影は顔が二つ写っていますね
人の二面性を表しているようで好きです。

深く考えさせてくれる素敵な作品でした。

ティム・ノーブル&スー・ウェブスターのような
影を使った素敵なアートにまた出会えたらいいなと思います。

2013年6月2日日曜日

「ちょっと立ち止まって」 桑原茂夫

騙し絵などでよく見かけるのが
「ルビンのつぼ」の絵です。


中1の国語の教科にあった内容ですが、
読み返してみると、とても良い内容だったので
少し載せてみました。


 「ちょっと立ち止まって」       _桑原茂夫_


「 自分ではAだと思っていたものが、人からBとも言えると指摘され、なるほどそうも言えると教えられた経験は多いことだろう。

 この図の場合、つぼを中心に見ているときは、見えてるはずの二人の顔が見えなくなり、二人の顔を中心に見ると、一瞬のうちに、目からつぼの絵が消え去ってしまう。

 このようなことは、日常生活の中でもよく経験する。今、公園の池に架かっている橋の辺りに目を向けているとしよう。すると、橋の向こうから一人の少女がやって来る。
目はその少女に引きつけられる。このとき、橋や池など周辺のものはすべて、単なる背景になってしまう。カメラでいえば、あっという間に、ピントが少女に合わせられてしまうのである。ところが逆に、その橋の形が珍しく、それに注目しているときは、その上を通る人などは背景になってしまう。

 見るという働きには、思いがけない一面がある。一瞬のうちに、中心に見るものを決めたり、それを変えたり、することができるのである。

 わたしたちは、ひと目見たときの印象にしばられ、一面のみをとらえて、その物のすべてを知ったように思いがちである。しかし、一つの図でも風景でも、見方によって見えてくるものが違う。そこで、物を見るときには、ちょっと立ち止まって、ほかの見方を試してみてはどうだろうか。中心に見えてるものを変えたり、見るときの距離や角度を変えたりすれば、その物の他の面に気づき、新しい発見の驚きや喜びを味わうことができるだろう。」



あらためて読むと深いですね
特に後半の内容は生きゆく上でとても重要な部分だと思います。

こういった騙し絵から学べることもたくさんありそうですね
ただ面白いと感じるだけではなく、
視野が広がっていくような思考に出会えたらいいなと思いました。

2013年6月1日土曜日

イサクの独り言

ブログはじめました



こんにちは イサクです。



このような絵を本などで見たことはありませんか?
子供の頃はこのような絵の奇妙さと、
何が隠れているかを探すのが好きでした。


このブログでは錯視や心理学などの内容を入れていこうと思います
ほぼ、拾いもんですが
独り言のように書いていくつもりです。


この絵は「ルビンのつぼ」の進化系でしょうか?   
人が5人います



何人いるかを探すのが個人的に一番好きです。
この絵には9人隠れているそうです。 
探せますか^^?